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8. コロナとの対峙

弊社を根底から創り直した『コーポレート・トランスフォーメーション』の概念

不安と不満から始まったコロナのストーリー

小野写真館3.0について話をしたのが2020年1月です。10年先の2030年には果たして結婚式や成人式、七五三が世の中に残っているだろうかという問いから話を始めました。仮に結婚式や成人式がなくなったとしても、我々は強く生き残っていこう。そういう話をしました。当時すでにコロナは始まっていましたが、今と比べたら何もないに等しい状態。結果として半年後、話した通りになりましたし、1年後には成人式が中止という事態に陥りました。

我々が10年かけて目指そうとしたことが1年から2年でやらなければいけない環境になってしまったのです。これが小野写真館のコロナで生じたストーリーの始まり。幸いだったのは、未曾有の状況に陥る前に「もし結婚式や成人式がなくなっても我々が会社を変えていこう!」という明確な意志を持てたこと。しかしさすがにコロナの全世界への蔓延は急激過ぎました。

あまりの酷い状況に、僕もつい誰かのせいにして怒りや不安、不満をぶつけたくなります。国や県という行政のせいにもしたくなりました。「コロナのせいで、なぜ我々だけがこんな目に遭わなきゃならないのか!」と悲観する気持ちも自然と湧いてしまいます。ですが結局のところ、誰のせいにしても好転する訳ではありません。僕は首相でも県知事でもない。ならば自分がどうにもできない事象に対して一切捉われず、自分がコントロールできることだけに注力しようと決断しました。

追い込まれたことで決まった覚悟

その中で僕に良い刺激を与えてくれたのが『コーポレート・トランスフォーメーション』という言葉でした。この概念を編み出したは、経営共創基盤という会社の冨山和彦さんです。「これだ!」と僕は確信しました。世の中はコロナによって全てのルールが変化していくため、会社をゼロから創り直す必要があります。それをできる唯一の存在は、会社の社長だけです。細かいことを抜きに、会社をゼロから創り、変えていくのは会社のトップでなければできません。当たり前ですが、トップがトップの仕事をするということ。そしてそれは小野写真館では僕にしかできない役目なのです。

僕がその考え方を理解したのは昨年2020年の4月から5月にかけて。その頃はまさしくビジネス的に最悪の状況で、辛く出口の見えない経営から逃げ出したい、というのが正直な心境。同時に「このまま小野写真館が潰れてしまうのではないか?」の恐怖にも苛まされていました。ただ、ある意味そこまで究極的に追い込まれ、落ち込むだけ落ち込んだからこそ、開き直りの覚悟が決まったところも大きいです。よし、だったら小野写真館をゼロから創り直そう。そのためには具体的に動く必要が生じます。それが僕にとってはM&Aでした。

感動体験創出の意志と、写真への回帰

とはいえ、会社が生き残ることを考えたら、会社を買収せずに、その分のお金を使えば長く生き延びることはできる。悪く言えば、勝負を賭けたM&Aは組織の死期を早めることにもなりかねない。良くも悪くも僕自身が小野写真館の株を所有し、決断できる立場だったことが功を奏しました。これが例えば取締役会の承認が必要な状況だったら、おそらく話は通らなかったでしょう。

売上が目に見えて落ちている中で他社を買収するとプレゼンしたら、ほとんどの人間が「なぜ今そんなことを?」と疑念を抱き「やらない」という選択肢を選ぶはずです。あの時の自分が「今なら行ける!」と判断したことが、結果として非常に良かった。会社の業績が落ち込んで、逆に覚悟ができ、旅館業を通じて新しい事業に踏み出していくことを意志判断できたのが大きかったです。

結果、一連の流れによって「小野写真館は単なる結婚式・成人式・七五三の会社ではなく、感動体験を創出する企業を目指す」との意志を言語化できました。もちろん、それぞれのセレモニーを否定するのではなく、式を通じて我々は感動体験のプロデュースを積み重ねてきた訳で、そこは状況が変わっても何も変わりありません。既存事業に関しては「写真回帰」に方向を定めました。もともと写真館から結婚式場を立ち上げ、『二十歳振袖館Az(アズ)』も立ち上げるなどして、どんどん新規事業を展開しましたが、コロナ禍になって逆に写真へ立ち戻ろうということになります。

実は現在の下地になっていた二つの未成功体験

コロナ以前の話ですが、小野写真館は一度、ベトナム進出を試みました。ベトナムだけではなく、アジア全体として、結婚が決まったら「まず写真を撮る」という日本と真逆の文化があります。日本円で言えば70万円から80万円の金額を使い、先に写真を撮ってから結婚式を挙げる文化です。我々はそのド真ん中で勝負をしたいと考えました。しかしベトナムでのチャレンジは成功することなく頓挫することになります。

そもそも『アンシャンテ』を創った時も、フォトウェディングを結婚式のド真ん中へ持っていきたい気持ちがありました。そのために結婚式場を買収してでもやらなければという想いで実現したのが『アンシャンテ』です。『アンシャンテ』も当初は「日本に新しいフォトウェディングの文化を創る」というテーマを立てて実現したものの、なかなか思い通りにはならず、中途半端な状況で悶々としていました。

そうこうする中、小野写真館として様々な事業を立ち上げていく内に、何となく普通のブライダル企業になってしまったと僕自身が感じるようになってしまったのです。ベトナムでのチャレンジも、『アンシャンテ』も、当初目指した理想を叶えられませんでした。

未曾有の危機が『アンシャンテ』特需に繋がった!

興味深いことですが危機的状況のコロナ禍によって、自然と写真が結婚式のド真ん中になりつつあります。我々の事業として、結婚式および披露宴の仕事は激減しましたが、写真だけの結婚式であるフォトウェディングの実績は急激に伸びているのです。僕がかつて思い描いたものの成功に届かなかった事象が、コロナ禍によってもう一度立ち向かう好機を得られました。そしてこのチャンスは『アンシャンテ』の大爆発に繋がります。

世の中の動きとして、日本でも結婚式の中心が写真になりました。これは我々にとって非常に大きなチャンスと捉えています。ベトナムでも失敗しましたし、『アンシャンテ』はブランド化こそ果たしましたが思い描いた形にはなりませんでした。そのビジネスがコロナにより想像を絶するほどに息を吹き返したのです。

それは結婚式だけでなく、成人式も同様です。衣装レンタルをしなければ写真が売れなかったため参入したビジネスが今となって逆転。成人式に出席することが目的ではなくなり、今後は成人した時に二十歳で振袖を着て一生の思い出に残る写真を撮ることが目的になっていきます。既存事業のモデルチェンジ。我々によるビジネスの中心を、結婚式も成人式も写真を中心に持っていくことの重要性を踏まえながら、この1年間は取り組んできました。今、小野写真館に、強い追い風が吹いています。