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感動体験を地域から広めていくことが我々の役割!!【邂逅の章】

茨城高校出身・同級生による注目の経営者対談!
感動体験を地域から広めていくことが我々の役割!!

株式会社 フットボールクラブ
水戸ホーリーホック
代表取締役社長:小島 耕
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株式会社 小野写真館
代表取締役社長:小野 哲人

自由と責任が自然と身に付いた、茨城高校での3年間。卒業後の四半世紀を経て、同級生の二人が再会を果たした。
水戸ホーリーホックの重要なフロントスタッフの小島耕。小野写真館グループを総轄する社長の小野哲人。
水戸ホーリーホックへのオフィシャルパートナー契約を通し、改めて急接近した二人。我らが茨城県を発信地として、全国、アジア、世界を視野に入れ、躍進の約束を掲げる両者が持つ明確な想いとビジョンとは?
オピニオンリーダー同士が交わす、一言一句に刮目する必要がありそうだ。

小野哲人「小島がいたことでオフィシャルパートナーに拍車がかかった」
小島耕「茨高の同級生同士による思い入れは深い」

25年ぶりの再会で結ばれた強固な協力関係

高校時代、二人はどのような関わり方をしていましたか?

小野哲人(以下、小野)高校時代、同じクラスの時はなかったよね?

小島 耕(以下、小島)なかったですね。そもそも哲人はクラス横断の活動が多かったから、あまり関係ないけど(笑)。

小野もちろん同級生だから存在は知っていたし、接点はあるけど特別に仲が良い訳ではなかった。

小島そうですね。哲人のことは同級生として、どういうことをしてるかを認識していた程度。卒業してからの関わりは、これまでなく、ただ、大学を出てからは地元に戻り家業を継ぎ、だいぶ銀行から融資を受けて大胆なビジネスをしてるというのは、SNS上で知っていました。

小野小島はずっと上京したままだったよね。

小島メディアの世界でスポーツに深く携わっていたため、まさか哲人とビジネスで繋がる日が来るとは思っていなかった。水戸ホーリーホックと縁があり、こうして内部の人間として仕事をすることになり、その経緯をFacebookで伝えたら、哲人から「ちょっと営業に来てくれませんか?」と連絡をもらって。

小野タイミング的なことで言うと、ちょうど小野写真館としてスポーツチームのスポンサー的な活動を考えていた頃。連絡を取り合い、当社のカジュアルフォトスタジオCocoa新横浜店で再会した。

小島僕と再会する前にも、水戸ホーリーホックとは接点があったよね。

小野小島が入る前に沼田社長や、小野写真館を担当してくれてる眞田氏に、何度も会社へ来ていただくなどして接点は深めていたんだよね。
眞田氏とは『三十路会』っていう集まりで知り合いました。茨城県の人間として水戸ホーリーホックの存在は注視していたし、小野写真館としても、まだスポーツチームのスポンサーになっていないタイミング。俺が沼田社長を尊敬していたこともあり、いつかオフィシャルパートナーの意味合いでお手伝いできる会社になりたいと思っていた。まさにそのタイミングで小島が内部の人間になったので拍車がかかった部分はあります。

小島茨城高校(以下、略称の茨高[いばこう]で表記)の同級生同士による思い入れは深いから(笑)。

小野深い(笑)。今の茨高は共学の素敵な高校なんだけど、俺らの頃は男子校で少しヤンチャな校風だった(笑)。だからかな、同級生の関係が深くて皆の仲間意識がとても強い。そういう絆みたいな部分は卒業しても変わらない。
もし小島が来なくても、いずれ小野写真館は水戸ホーリーホックへのオフィシャルパートナーに関わっていたとは思う。繰り返すけど、本当に小島の入ったタイミングが劇的にドンピシャリだったからね。

小島小野写真館とパートナーシップを結べたことは本当にありがたくて。ずっと故郷の茨城県に帰っていない僕としては、いつか地元に恩返ししたい想いがありました。しかし今まで、その機会は皆無。ですから、いざ水戸ホーリーホックの人間になり、茨城県に帰郷はしましたが、地元で頑張っている皆さんの中へ入っていくことに抵抗がありました。東京で20年間仕事をしていると、簡単に「地元に恩返し」とは口に出せない。そういう年齢になっている感覚が強くあって。

小野それは理解できる。動きたい気持ちは強いけど言葉には出しづらい部分として。「何を言ってんだ。ずっと東京に行ってたじゃないか」って思われそうだしね。

小島そうなんだよ、ありがとう。そういう状況とはいえ、ご縁があって地元で働ける機会をいただいた。「よし頑張ろう」と決意はしましたが、「東京から降りてきた落下傘の人材に何ができるの?」という空気感はありました。当然だと思います。そんな時に頼れるのは、やはり昔の仲間である茨高時代の同級生。哲人のアプローチは非常に嬉しかったし、本当に心強かった。