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感動体験を地域から広めていくことが我々の役割!!【回想の章】

小島耕「全ての面で、こんなに助けてくれる仲間たちは他にいない」
小野哲人「校風が自由だった分、責任は自分に返ってくることを学んだ」

学生時代に育んだ責任の解釈と、友人たちによる信頼の礎

小島さんが茨城県に戻ることになった経緯を教えてください。

小島東京で運営していた会社で、水戸ホーリーホックと仕事をする機会があり、面白そうだと感じ、打ち合わせについて行ったところ、現GMの西村卓朗から、社長の沼田と共に「あなたを水戸ホーリーホックの取締役に推薦させていただけないか?」という大変にありがたいお話をいただきました。

小野沼田社長と同じく、西村GMがまた素晴らしい方なんですよ。この方がいる限り、水戸ホーリーホックは大丈夫と確信できる人格者。その西村GMに見初められたんだから、小島の資質に間違いはないと思う。

小島僕としては青天の霹靂で驚きましたが、ご縁もあるし、評価を頂いて嬉しくもあり、地元茨城県で性根を据えてチャレンジしようという気持ちにもなりました。そこから取締役総会、株主総会を経て、無事、取締役を拝命。最初は非常勤で2019年の4月から8月まで勤務。9月からは取締役として常勤で働くようになりました。

小野取締役になってから、気持ちの面で変化していった面はある?

小島想いも膨らみ、やりたいことが増えていったね。僕が高校時代まで暮らしていた頃とは、町の様子も大きく変わっていますし。人の動きも、人が集まる場所も変わっている。そもそも市町村名が平成の大合併でたくさん変わっています。あるべき学校がなくなっていたり、知らない高校の名前がいくつもあったりとか。全ての面で茨城県についての新たな知識が必要でした。恥ずかしいと思わず率直に質問できる間柄というだけでも、同級生たちの存在は本当にありがたいです。

小野「茨城弁の他は、わからないことばかりだよ」っていろいろ訊かれたよね。そうか、こういう情報が大事なんだと俺も再認識したし。
凄く不思議な感覚を覚えるのは、今になって振り返っても、茨高は個性的な人間が集まる変わった学校だということ。同級生として共に学校に通ったり、水戸を中心に遊んだりした共通の時間があったから、もう卒業して25年以上も経つけれど「あの小島が水戸ホーリーホックで頑張るなら、協力できることはしていこう!」って気持ちにもなる。

小島情報面でもコネクションの面でも、こんなに助けてくれる仲間たちは他にいないです。哲人だけではなく、同級生が経営者層の年代になっています。そこは本当に頼もしい。と言うのも、直接的なオフィシャルパートナーに繋がらなくても、いろいろな人脈を作ってくださったり、有益な情報を教えてくれたり。地元に戻ってきて特に思うことですけれど、茨城県という地は人脈が凄く重要ですから、同級生の存在は本当にありがたいです。

小野株式会社オスクの大野君、国際ロジテック株式会社の篠田君も水戸ホーリーホックをオフィシャルパートナーしてる。株式会社 小野写真館も含め、同級生の経営する会社が3社っていうのは、通常のビジネス感覚だけじゃ成立し得ない何かがあると思う。

小島そこはもう感謝しかない。もう一人、やはり同級生の立川君が運営に携わる立川記念病院様もサポートカンパニーとして協力してくださっている。その意味で言っても、高校選びは重要だったと思います。当時は深く考えずに進んで楽しく過ごした茨高だったけれど、四半世紀が経ち、こういう形で同級生が仕事をしている訳ですから。

小野小島に関しては、高校時代に皆の道しるべになったところがあったよね。

小島何それ?変なこと言い出さないでよ(笑)。

小野茨高は私服通学OKの高校だった。でも入学してすぐの段階では皆が様子見。
どのタイミングで私服にしていいかわからなかったけど、小島が新1年生の中で最初に堂々と私服で通い始めた(笑)。私服で学校に通った先駆者。

小島入学してすぐに私服で通学しましたからね。それは早くやりたったので。でも哲人の格好はかなり派手だったよ(笑)。

小野そうだったかもしれない(笑)。高校生活が本当に楽しくて。校風が自由過ぎたから(笑)。ただ、自由だったからこそ、その分、責任は自分に返ってくることを学んだ3年間ではあったね。行動した結果は否応なく受け入れなければいけなかった。徹底的に先生方から叱られたりね。そこは正直言って厳しかったですよ。自由だけど、自由の責任は取る。大人の社会はそうじゃないですか。

小島10代の高校生で社会の仕組みを実体験で学んでいるようなところはありました。自由と責任。それがすでに高校生の時点で体験できていたのは、今の僕たちにとって大きな財産になっているかもしれない。

小野そういう茨高だったからこそ、仲間の結び付きが強まったのはあるね。

記録者のひとりごと

個性の強い仲間が集まる特別な環境。自由だけど伴うリスクも小さくはない。そういう環境で過ごす最も多感な3年間だったからこそ、四半世紀の長い時間を経て、ビジネスの最前線での劇的な邂逅にも繋がった。小島耕氏と小野哲人氏。自信に満ちあふれて言葉を紡ぎ合う二人を見ていると、その確信を持たずにはおれない。

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