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社長メッセージ【ビジネス哲学の参 決意の章】

絶望の中で見出した写真の本当の価値
もう恐いものはない!やれることをやるだけだ!!

楽しい学生時代と幕間の猛勉強

小野社長の歩んできた道のりは?

僕は中学生まで真剣に野球に取り組み、本気でプロ野球選手になりたいと思っていました。でも中学時代の大きな大会で、もの凄い選手を何人か目の当たりにし「こんな奴らに敵うわけがない」と思い込み、野球を辞めたんです。

今思えば、非常につまらない考え方だと思いますが、当時はそう捉えてしまったんですね。高校では部活には入らず、悪友たちと遊びまわる毎日。自由な校風の高校で、楽しい青春時代を満喫しました。ただ、あまりに楽しく遊び過ぎたため、いざ大学受験を意識した頃には全然偏差値が足りず、入れる大学がどこにもないことに気付かされたんです。

大学受験の結果は?

特に絶望することもなく、その時点で僕のスイッチが入りました。人は凄いですよ。「何としてでも大学に行きたい。青学や早稲田とか、いい大学へ入りたい。親元を離れ一人暮らしをして、たくさんの女の子にモテたい。いい大学に入学できたらバラ色の人生が待ってる!」。妄想にも近い願望がわき起こり、明らかに動き始めるのが遅いものの、高3の夏から自分でも信じられないし、両親が心配するぐらい猛勉強したんですよ。何となく東京に行きたいって欲のためだけに(笑)。もちろん大学卒業後の就職なんて考えはない。「東京で楽しい一人暮らしが待ってる」程度の曖昧なビジョンだけ。よくあれだけ集中できたと過去の自分を疑いますね。死ぬ程勉強した結果、たまたま希望する青山学院大学に合格できました。

大学への入学後は?

大学では遊び中心のオールシーズンサークルに。バイトもしましたし、大学へ行っても麻雀やスロット、競馬に明け暮れるキャンパスライフを漫喫。今振り返っても高校以上に楽しい大学生活でしたが(笑)、ただ野望だけは大きかった。
それこそ漠然とですが、金持ちになってやる、大きなことをやってやる、の気持ちは持ってましたね。就職活動の時期が訪れ、「何をすれば最も自分の価値を高められるか?」と真剣に考えた時、浮かんだのは、やはり金融だった。お金を学べること。金融の仕事はお金を握れるので、若くても多くの経営者と直に会えること。結果、金融系の会社に入社し、5年間、仕事をしました。ただ、大学時代も含め、その間にはいろいろ思うところがあったんです。

命の危機に求めたのは大切な家族写真

最も大きかった「思うところ」とは?

大学3年生の頃ですね。ウィンドウズ95が世に出た時です。初めてインターネットを知った時、僕はかなりの衝撃を受けた。これは世の中で凄いことが起きる!でも、思っただけ。手をこまねいて何も行動はしなかった。同じ場面で行動したのが孫正義さん(ソフトバンク)や三木谷浩史さん(楽天)。また、直接の知り合いではないものの、同じ大学を卒業した同年代の藤田晋さん(サイバーエージェント)もそう。同じようにインターネットと出会い、世の中が劇的に変わると感じたのは一緒だけど、藤田さんは即行動に移し、あれだけの企業のトップになった。僕は何もしなかったから後悔している。ただ、行動しなかった人間が何を言っても始まらない。だから同じ後悔を、もうしたくないんです。ここが今の自分の大きな考え方であり、小野写真館グループの根本である「爆速」のルーツに繋がっています。

小野写真館を継いだ際の経緯は?

金融の仕事を経て、家業の写真館を継ぐことを決め、2年間、アメリカの大学へ留学。その留学中、新潟県中越地震が起きたことをインターネットのニュースサイトで知りました。数日経ち、地震が起きて真っ先に人々が手にしたのは家族写真だという報道があったんです。これから日本に帰ってする僕の仕事は凄いことなんだと感じました。
だって理屈で考えれば、財布やケータイの方が、直後の生活を考えたら、余程大事じゃないですか。でも一瞬、死と向き合った人たちが、事実、持って逃げようとしたのは、家族や恋人と写した写真だったんですよね。これは凄いことですよ。

大地震・・・後の茨城県も無縁ではないですよね?

はい。僕たち茨城県も被災した東日本大震災が2011年3月に起きてしまった。当時も東北の人たちが1枚の写真を探すため、瓦礫の中を必死に探す光景が多くあったんですよね。僕がかつて働いていた金融の仕事は物の価値を常に注目するビジネスだった。会社や店なら資産を。個人なら家や車。でもですよ、2,000万円を出して高級車を買っても10年経てば価値はゼロになる。物の価値って全てそうなんです。
しかし、そうじゃない物があった。撮ってから10年20年経って価値を上げるのが写真。他にそんな物はないですから!それが僕らのビジネス。なら僕たちのやるべきことは、単に写真を売ることではなく、写真を撮るという文化をどうプロデュースするか?そこを突き詰めていくこと。写真を見た時にこぼれる笑顔や感動を提供するのが、僕の使命だと思ったんです。

失意の被災地で迎えた衝撃的な転換期

東日本大震災でのダメージは?

あの震災で弊社も数千万円のキャンセル損失があり、厳しい状況に直面しました。自分がそれまでやってきたことが一気に崩れてしまったような喪失感を覚えましたね。「今まで頑張ってきたのに、なぜ、こんな目に遭うんだ」と精神的にも追いつめられてしまった。
そんな僕を気遣ってか、仕事関係の仲間が宮城県石巻市へのボランティア活動に誘ってくれたんです。自分の写真館がどうなるかもわからない状況で留守にするのは気が引けましたが、僕自身の気持ちを打破したい感情もあり、4日間のボランティアへ向かいました。

現地はどんな状況?

茨城も被災県ですが、全くレベルが違う悲惨な状況でした。僕があの光景を忘れることは、生涯ないでしょうね。臭いや惨状、本当にショックを受けました。僕は何件かの家や店に派遣され掃除をする役割で、ある老人ホームへ派遣され泥かきをしたんですが、正直、あり得ないぐらい壊滅的な損傷状況。驚いたのは、休憩時間に高齢の女性オーナーがお茶を出してくれ「戻りたい人が一人でもいるなら、私は老人ホームを再開したいんだ」と笑顔で話してくれたこと。
いやいや、とてもじゃないけど、そんな状況じゃないんですよ。でもそのオーナーは希望を捨てずに目を輝かせていた。悲劇のヒロインを気取っていた自分との違いに愕然としましたね。僕は家族もスタッフも含めた誰の命も、また店舗すら失っていないのに、地震を恨むだけな意味のない日々を過ごしていた。一方で、こんなに酷い状況にも関わらず「すぐにでも再開して利用者を受け入れたい」と話す人がいる。その時、僕は変わったんですよ。

意識が、どのような変化を?

僕はもう何も余計なことを考えず、今、自分にやれることをやるだけだ、って意識に変わりました。僕たちの仕事で素晴らしい事業をつくっていけば、結果、人をたくさん幸せにできる。これをシンプルにやっていこうと。目論んでいた売上が一瞬でフイになったことをとんでもない悲劇のように嘆いたけど、それが逃げ道だったと気付かされたわけです。僕が悲劇のヒロインぶった理由は、たかが仕事に過ぎないじゃないか。心のつっかえが取れた感覚でしたね。だから僕とスタッフたちは、その後、躊躇なくチャレンジできるようになった。事業を大きくして人を幸せにしていこう。関わるお客様もスタッフも全員幸せになる事業をつくり続けていこう。
僕は東日本大震災によって、自分が器の小さな経営者だったことを思い知った。だからこそ、「これからはやるだけだ」のシンプルな考えに切り替えられたんです。東北地方のボランティアでは、瓦礫から探し出した写真を洗って避難場所の体育館に設置する活動もありました。ボロボロな1枚の写真を見つけに、何もかも失った人々が、すがる想いで続々とやってくる。そんなにも価値のある物を、僕たちは仕事にしているんだとの覚悟も生まれましたね。

写真に宿る、減価償却とは無縁な、無限の価値

茨城に戻ってからの考えは?

改めて、毎年写真を撮る文化を、きちんと世の中に構築することが社会貢献でもあるし、我々の使命だと思いましたね。また、サービス産業は店舗を増やすことで自ずと雇用が生まれるので、その意味でも貢献ができる。僕は、石巻市での体験で恐いものがなくなった。そういう感覚になれた以上「残された人生でやるべきことをやるだけ」の想いにも結びついたんです。そこがいろいろな意味での原点でしょうね。

写真の価値への認識も?

金融業界での経験と震災後の体験を通し、本質として写真の価値を知ることができた。たかが写真、されど写真ですよ。今買ったアルバムを、10年後20年後、人はいくらで買い戻すのか?それは価格がつけられないんですよね。繰り返しの話になりますが、本来、全ての物質には減価償却という理屈がある。基本的に絶対価値は下がるのに、写真は唯一、持ち主にとって価値が目減りしない商品なんです。むしろ尊い思い出として価値を上げ続けもします。極端に言えば、時に写真は、家や車より高い価値を持つことがある。

その部分をどうやって世の中の人々に知ってもらうか?写真を撮ってもらうことがどういう価値観なのか?その重要性を明確に伝えられる企業でありたい。だから我々は、写真と、写真から派生するプロデュースで世界を変えていくという理念を持っているんです。

世界を変えるプロデュースとは?

僕たちは様々な事業を展開していますが、全ては写真から派生したビジネス。成人向けのAzもそう。写真だけを売るのでは駄目。今は振袖レンタル屋さんが無料で写真を付けているので、僕らの写真が売れなくなってしまう。だから川上である振袖レンタルを始めたんです。
レンタルを押さえれば、写真は僕らが存分に撮れるわけで。ブライダルもそう。結婚式場の下請けに入ったら、そのポジションで終わってしまう。お客様に「写真が大事」と訴えたいなら、絶対に自分たちが川上に立たなければいけないんです。世の中のビジネスモデルとは真逆の道を模索したからこそ、事業のブランド化を転換していけた。

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